浮いて沈んで、漂って。

ただの19歳の小娘が綴る平凡な日常。好きなこと、嫌いなこと、その日書きたいなと思ったことを遠慮なく自分の言葉で書きますよ。気分ムラが激しい系なので記事のテンションが日によって全然違うと思われる。暇つぶしにもならないブログですが良かったら読んでいってください。

人間だから

人間って、体験してみないとその体験をしたことのある人の気持ちは分からないですよね。

 

いじめられた人の気持ちも、いじめた人の気持ちも。

空想と妄想と想像の感情は所詮作り物でしかないです。

本当の痛みや感情はしてみないと分からない。これは、仕方が無いことです。こういう風に人間が作られているんですから。

 

人殺しも、実際に人を殺してみないとどんな感情になるのか分からない。

本当に大事な人を亡くした人の悲しみにその経験の無い人は寄り添えない。

子供を堕胎した女性の痛みや感情を男性は絶対に知り得ることが出来ない。

 

自分の生きてきた上での体験でしか人は本当に感じるという事ができないんですよね。

 

これは、人間の欠陥点だと私は思います。

自己防衛機能としてはとてもいいものですが、自己防衛することによって人は他人にトラウマや絶望を植え付けることになる。

 

ある物事に対しての痛みや絶望という感情を本当の意味で共感し理解することができないから人は人を傷つけて、殺してしまうんです。

 

レイプされた女性の恐怖を本当に理解している男性がレイプをしないのと同じです。

いじめられたことのある学生が他人をいじめないのと同じです。

 

他人を傷つける行為は傷つけられた側の本当の痛みを知らないからできることなんです。

 

なにが言いたいのか良く分からなくなってしまいましたがふと思ったので綴っておきます。

 

私は人の痛みに寄り添うことが好きです。人の痛みを理解することが好きです。偽善でもなんでも、好きなんです。それが私なんです。

でも、私は、本当の意味では誰の痛みにも寄り添えていない。

無力ですね。「痛いよ、苦しいよ」なんていう人間ならみんなが1度は感じたことのある単純明快な感情にすら寄り添えないなんて。

 

痛みにも、マイナスな感情にももっと鈍感なら良かった。

人の痛みにも自分の痛みにも過敏すぎて上手く生きていけません。