浮いて沈んで、漂って。

ただの19歳の小娘が綴る平凡な日常。好きなこと、嫌いなこと、その日書きたいなと思ったことを遠慮なく自分の言葉で書きますよ。気分ムラが激しい系なので記事のテンションが日によって全然違うと思われる。暇つぶしにもならないブログですが良かったら読んでいってください。

価値のあるもの、ないもの

昔、中学生の半ばくらいまでの話。

私は気が強くて友達も多く、明るく、口の悪い女の子だった。気に入らない奴は徹底的にみんなでハブったり、目の前で悪口を言ったりした。取り巻きも常にいて、まさに「女王さま」

スクールカーストの上位に常にいた。

 

元々人を傷つけることに抵抗はない。

父のご機嫌取りを長らくしてきたから人の気持ちを察するのは得意なのに、その当時は人の気持ちを考えようとしなかった。幼さ故、と片付けてしまうのは簡単だが、同い年で私より優しい子は沢山いた。要するに私が酷い人間だったのだ。

 

いじめもよく起こった。私は被害者も加害者も経験済みだ。圧倒的に加害者でいた時間の方が長いが。

人を傷つけるという行為は簡単にできる。それが人を傷つける行為だと、言葉だと理解しなければいくらでもできる。簡単に。

でも、1度人を傷つけていると理解したり、自分も傷つけられると「傷つける」という行為がとても悲しくて怖くて恐ろしいものだと分かってしまう。できなくなるのだ。

 

人生の半分で私は人よりたくさんの人を傷つけてきた。

母も泣かせた。父も手を焼いた。友達は数え切れない。一体何人が私の言葉で傷つき、泣いたのか、悩んだのか。はたまた、何人が私のことを恨んだのか。

 

罪の重さというと大袈裟で自分に酔っているように感じるが、その罪の重さに気がつくのは自分の周りに人が誰もいなくなってからだった。

 

人といない期間は私に考えさせる時間をくれた。自分の行動を悔やみ、責め続ける。それが私の行った初めての自傷行為だったのかもしれない。私は過度な人間だ。人を極端に傷つけることに抵抗がないから代わりに自分を極端に傷つけることにも抵抗がない。心が病んでいった。自分の行動と自分の言葉で、私は見事自分を病ませたのだ。

 

病んだのは中学3年生の時。高校生になってからはスクールカーストは常に下位。性格も丸くなって普通の子に近づけた。人の痛みを知るという行為は私の人格・性格にまで影響をおよぼした。

高校時代は人を傷つけることに過敏になりすぎて今度は自分を傷つけることに必死だった。でも今度は自分を傷つけること、自分の痛みに鈍感になってしまって、私はどんどん心を病ませ、体に負荷をかけた。

傷つける対象が変わった。他人から自分になった。それは昔の私からしたらとてもいい傾向なような気もするが、自分を大事にしないことがとても愚かなことだと今なら分かる。(かもしれない)

 

高校を無難に無事に卒業した私は、徐々に性格が幼少期よりに戻っていく。他人を傷つけることにも自分を傷つけることにも何も感じなくなりつつある。私は私が幸せなら誰が不幸になろうが構わない。まったく、幼少期の私そのものだ。

 

でももう、他人のために生きるのは疲れた。この世の中、自分の事だけ考えられる人が一番幸せになれる。他人を気遣い、他人に優しくする。それはそれで幸せかもしれないがそれに今の私は価値を感じない。

無理をしてまで他人の役に立つことがしばらく美徳だと感じていた。自己犠牲に憧れていた。でもあんなもの、吐き気がするほどくだらないものだと今なら分かる。

 

他人のためになるように生きる。他人に迷惑をかけないように生きる。そんなもの「いい人でいたい」という自分の見栄を満たすことにしか繋がらない。本当はもっとドロドロで汚い欲望がある癖に。どうしてみんなそんなにまともな人間でいたがるのだろうか。それで楽しいのだろうか。私は楽しくない。私は私のことだけを考えて生きているのが一番楽だ。

 

友達にまさに自分を「綺麗な人間」にしようと必死な人がいる。

私はその子が滑稽で仕方ない。本人はそれで自分の心を満たせているのかもしれない。他人に迷惑をかけない自分、自立している自分、社会的に恥ずかしくない自分。本当にくだらない。生きづらそうでたまらない。いつか必ずパンクする。走り切ったってその人生は豊かだったと言えるのか。私が口出しするものでもないかもしれないが。

 

日本人は偉いと思うが馬鹿だとも思う。

これには賛否両論で深く語ることで批判も来そうなのでやめておくが。

 

自分のためだけに生きた幼少期、他人の為だけに生きた高校時代。

さて、どっちにより価値があったんだろうか。

 

他人のために生きて報われる場合もあるがその逆もある。

だったらもう、自分のためだけに生きればいい。他人の気持ちなんて無視して。